ボッチャの指導は、ときに感覚に委ねられます。

  • 「もう少し強く」
  • 「少し右を狙って」
  • 「今の感覚を覚えておいて」

それらの言葉は決して間違いではありません。

けれど、その感覚は再現できるでしょうか。

  • 昨日は上手く投球できたのに、今日はできない。
  • 良いボールが続いたかと思えば、急に崩れる。

その理由を、どこまで説明できているでしょうか。

成長が偶然に左右されるとき、選手も指導者も、どこか不安を抱えます。

私は作業療法士として、動作を「構造」で捉える視点を学んできました。

再現できないものは、改善できない。

その考え方をボッチャに持ち込んだとき、見えてきたのは「感覚から構造へ」という道筋でした。

BOCCIAREが目指しているのは、練習メニューの追加ではありません。

指導そのものの“かたち”を整えること。

偶然に頼らない成長を、積み重ねられるものにすること。

そのための提案が、ここにあります。

感覚に頼る指導の限界

なぜ「なんとなく」は再現できないのか

ボッチャの投球は繊細です。

わずかな力の差、角度の違いで結果が変わります。

だからこそ、「感覚」が大切にされてきました。

しかし感覚は、目に見えません。

言葉にしづらく、共有もしにくい。

  • 「今日は感覚がいい」
  • 「さっきの感覚でいこう」

その言葉は、その瞬間には有効かもしれません。

けれど翌日、同じように再現できるでしょうか。

偶然に近い成功は、安定した成長を生みません。

再現できない成功は、自信にもなりにくいのです。

「もう少し強く」のその先へ

指導の場面では、つい感覚的な表現が増えます。

  • 「もう少し強く」
  • 「少し右へ」
  • 「今のフォームで」

どれも間違ってはいません。

ですが、それは具体的に何を変えることなのか。

  • 腕の振り幅なのか。
  • リリースのタイミングなのか。
  • 姿勢の安定なのか。

曖昧な言葉は、受け取る側によって解釈が変わります。

そのズレが、小さな迷いを生みます。

説明できない指導は、再現できない成長につながります。

それは選手だけでなく、指導者自身の不安にもなります。

成長が止まる本当の理由

もっと練習すれば上手くなる

そう考えることは自然です。

努力は決して無駄ではありません。

しかし、構造がないまま練習を重ねると、改善点が曖昧なまま反復することになります。

  • どこが良くて、どこが足りないのか。
  • 次に何を整えればよいのか。

それが見えないままでは、成長は偶然に左右されやすくなります。

練習量が足りないのではなく、構造が整理されていないだけかもしれない。

感覚に頼ること自体が悪いのではありません。

ただ、それだけでは限界がある。

その限界に気づいたとき、「構造」という視点が必要になるのだと思います。

構造という視点がもたらすもの

動作を分解するという考え方

ボッチャの投球は、一つの動きに見えて、実はいくつもの要素で成り立っています。

  • 姿勢の安定。
  • 視線の位置。
  • 腕の振り幅。
  • リリースのタイミング。
  • 力の加減。

それらは連続していますが、本来は分解して考えることができます。

どこが安定していて、どこが揺らいでいるのか。

動作を分けて見ることで、改善点は具体的になります。

感覚は否定するものではありません。

ただ、感覚を構造として捉え直すことで、はじめて共有できる知識になります。

段階を踏むことで生まれる安定

人の動作は、一度に大きく変えられるものではありません。

フォーム全体を直そうとすると、かえってバランスを崩してしまうこともあります。

だからこそ、段階が必要です。

今は姿勢を整える段階なのか。

それともリリースを安定させる段階なのか。

一つずつ焦点を絞り、できることを積み重ねていく。

段階が明確になると、練習には目的が生まれます。

目的のある反復は、偶然ではなく、積み重ねになります。

安定は、構造の上にしか築かれません。

再現性が自信を育てる

再現性とは、「同じ条件なら同じように投球できる」状態です。

それは才能ではなく、整理の結果です。

  • なぜ上手く投球できたのか。
  • なぜ上手く投球できなかったのか。

その理由を説明できるとき、選手は次の一投に迷いません。

そして指導者もまた、感覚だけに頼らずに支えることができます。

自信は、偶然の成功からは生まれにくい。

しかし再現できる成功は、確かな土台になります。

構造は冷たい理論ではありません。

むしろ、人を支える安心の枠組みです。

感覚から構造へ。

その移行は、ボッチャ指導に安定と広がりをもたらします。

BOCCIAREが描く指導のかたち

50の挑戦に込めた設計思想

構造を持たせるためには、順序が必要です。

何から整え、どこまでできれば次に進むのか。

それが曖昧なままでは、段階的な成長は難しくなります。

BOCCIAREでは、投球という動作を分解し、必要な要素を一つずつ整理しました。

姿勢、安定、軌道、距離感、状況判断。

それらを「挑戦」という形に落とし込み、積み重ねられる単位に整えた結果が、50という数でした。

多すぎず、少なすぎない。

焦らずに進める現実的な設計です。

指導者が“構造を持つ”ということ

BOCCIAREが目指しているのは、選手を変えることだけではありません。

  • 指導者が、構造を持つこと。
  • なぜこの練習をするのか。
  • 今はどの段階にいるのか。
  • 次に整えるべきものは何か。

それを説明できる状態をつくることです。

構造を持つ指導は、感覚を否定するのではなく、感覚を支える土台になります。

曖昧さの中にいた不安が、少しずつ整理されていきます。

感覚から構造へ、その先の未来

ボッチャは本来、奥深いスポーツです。

だからこそ、成長が偶然に左右されるのは少しもったいないと感じています。

感覚は大切です。

しかし、それを構造で支えることができれば、成長はより確かなものになります。

偶然の成功ではなく、積み重ねの結果としての成功へ。

BOCCIAREは、そのための一つのかたちです。

特別な才能を前提としない。

誰もが段階を踏み、再現性を育てられる指導へ。

感覚から構造へ。

その移行が、ボッチャの可能性を、もう一段広げると信じています。

まとめ

ボッチャの指導は、長いあいだ感覚に支えられてきました。

それは決して間違いではありません。

けれど、感覚だけでは届かない領域がある。

  • なぜ上手く投球できたのか。
  • なぜ上手く投球できなかったのか。

その問いに、構造で向き合うこと。

それは成長を偶然から切り離し、積み重ねへと変えていく営みです。

構造は、感覚を奪うものではありません。

むしろ感覚を支え、安心して挑戦できる土台をつくります。

BOCCIAREが目指しているのは、特別な方法ではなく、指導のかたちを整えること。

感覚から構造へ。

その移行は、静かですが確かな変化です。

もし今、指導や練習の中に言葉にしきれない違和感があるなら、その感覚こそが出発点なのかもしれません。

構造を持つことは、遠回りのようでいて、もっとも揺るがない近道です。

ABOUT ME
KOJ
・ブログ管理者 ・作業療法士 ・ボッチャのコーチ ・アニメ好き ・女の子と男の子の二児の親 ・BOCCIARE制作者